夕闇通り探検隊-花子さんのお墓の噂

「花子さんの噂」はどのタイミングで伝承と都市伝説が融合したか?
 夕闇通り探検隊において、最初に挑む噂が「花子さんの噂」だ。おトイレ軍団という、サンゴいわく「ウチのクラスのガン細胞」から入手することが出来る。
 イケメンの(某少女マンガの登場人物の設定にそっくりな)守護霊を持つ、自称霊感少女イワセユリいわく「この町には花子さんのお墓がある」のだという。詳しい経緯は省くとして、彼女の言っていることは半分(いや、7割くらい)デタラメだが、しかし口からでまかせというわけではない。

 花子さんのものではないし、お墓ですらないが、陽見には「ほこら」がある。イワセユリが初めから「ほこら」を花子さんのお墓として語っていたのか、そもそもイワセユリは「ほこら」を知っていたのかは不明だが、しかし彼女が言う「多摩川近くの十字路で、最初に会った人に話しかける」という行為は、「ほこら」への道しるべとなる。偶然か、必然か。

 

 さて、サブタイトルの「花子さんのお墓の噂」は、どのタイミングで伝承と都市伝説が融合したか?について考えていく。

 伝承というのは、「ほこら」のことである。より詳しく言えば、陽留見の町を護るために人柱となった少女を祀る「姫の社」だ。これは恐らく噂などではなく実際にあった出来事で、バス停で出会うお婆ちゃんが語る、陽留見の史実である。

 一方の都市伝説というのは、花子さんのことだ。これは日本全国に見られる有名な噂だが、イワセユリの「この町には花子さんのお墓がある」という一風変わったアレンジにより、子供じみた「トイレの花子さん」とは一線を画しているように思える。

 「花子さんのお墓の噂」は、花子さんのお墓を探しているうちに「姫の社」に辿り着いたというシナリオになっているが、ここで気になるのが、ふたつのストーリーの奇妙な一致点である。小さな女の子に関する噂であること。お墓・ほこらなど小さな建造物に関する噂であること。十字路が関係していること。この一致点は偶然の産物だろうか?それとも……

 

伝承が呼び寄せたのか、都市伝説がすり寄ったのか

 そもそもを考えるにあたって、イワセユリが「姫の社」を知っていたかどうかが重要なポイントとなる。もし知っていたならば、彼女が花子さんのお墓の話をでっちあげる際に、「姫の社」の噂をベースに作り上げた可能性が濃厚になるためだ。しかし、どうだろう。個人的には、その線は薄いと思っている。

 いまや「姫の社」は取り壊され駐車場になってしまっている。バス停のお婆ちゃん(もしくは、その世代の誰か)くらいしか、かつてあの場所に「ほこら」があったことを知るものはいないのである。では、イワセユリがお婆ちゃん世代の誰かにその話を聞いていた可能性は?……彼女の性格からして、なさそうだ。

 よしんば彼女が隠れたお婆ちゃんっ子で、「姫の社」の話を聞いていたとしよう。それならば、わざわざ花子さんなどという使い古された噂に便乗せずに、そのまま「姫の社」の噂として活用するのではないだろうか。「この町を護るために殺された女の子のお墓」にアレンジ要素を加え、「今は取り壊されたけれど、知らずにその場所に踏み込むと呪われる」とでも言っておけば、噂のインパクトとしては充分である。

 しかし、イワセユリはあくまで「花子さんのお墓」の話しかしない。都市伝説(イワセユリ)が伝承にすり寄った、とは考え難い。

 では、伝承が都市伝説を呼び寄せたのか?

 

陽留見という土地の特殊性とイワセユリ

    陽留見市という土地は(或いはこのゲームの舞台となる世界そのものは)、オカルティックな現象に関して特殊な性質を持っている。すなわち「それを知っている者や信じる者がいる限り、神秘は現実化する」という現象である。言い換えれば、信じる者がいなくなった瞬間に力を喪うわけだが、しかしオカルトを信じる者はどこにでも一定数いるもので、更に言えばクルミやミナミちゃんのように「視る」ことの出来る者もいるわけで、それらの力を借りて現実性を獲得した神秘は、時に神秘を信じない人間すら侵食する。

 「姫の社」は、信じる人間がいなくなれば消滅する儚い存在ではあるが、存在する以上は陽留見を護る神の一柱として大きな力を持つ。それこそゲーム終盤の「夕陽を留める」現象のように。これほどの力を持つ神秘ならば、他愛無い噂に過ぎない「花子さん」を利用して、望む人間(この場合、クルミ)を自分に近づけることも容易だろう。もっとも、「姫の社」が初めからクルミを目的としていたのかは甚だ疑問ではあるが。

 何にせよ、この場合は「伝承が都市伝説を呼び寄せ利用した」と考えるのが妥当であろう。

 そして更にここに加わってくる重大要素が、イワセユリという自称霊感少女の存在だ。彼女は恐らく、いやほぼ確実に「視えて」いない。カッコイイ守護霊に護られていて、みんなには分からない霊的なものを感じ取ることが出来る特別な少女。それがイワセユリの「自分設定」なのだろう。思春期の女の子にはよくある話だ。しかしイワセユリの「ほら話」は、不思議と噂の核心を突いていることが多い。この「花子さんのお墓の噂」もそのひとつだ。

 それはシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)なのか?それとも、力を持った神秘が俗世の人間にアプローチする際に、ちょうど都合がいいのがイワセユリというチャンネルなのか?(クルミは、少々神秘寄り過ぎるのかもしれない)

 きっと後者だ、と私は思う。イワセユリが噂を運んでくるタイミングにしても内容の深度にしても、偶然の一致とするにはあまりに都合がいい。恐らくイワセユリは、彼女が嘘をつかなくとも、ある程度「感じる力」はあるのだろう。クルミやミナミちゃんのようにハッキリと視ることは出来なくとも、少なくともごくごく小さなタマムシを、その眼の奥に飼っているはずだ。

 しかしそれはあまりに小さいがために周囲も、彼女自身も気付くことはない。さらに彼女は「普通」を捨てきれなかった。あくまで周囲に馴染める「普通」でありながら、周囲とは違う「特別」になりたいと願った。「俗世を捨てられない身の振り方」が、彼女の「視る」力におかしなフィルターを掛けてしまったに違いない。そのフィルターは、微弱ながら彼女に届いていた「姫の社」の声を、頭の中で、陳腐な「花子さん」の噂に作り替えてしまう。

 それでもイワセユリの言葉は、主人公一行を、あの神秘の十字路へとくのである。

 

そして噂が生まれる

 こうして整理していくと、気付くことがある。「花子さんの噂」と「姫の社」を結び付けたのは、イワセユリでもカスカでもなく、ほかでもないナオたちなのだ。イワセユリは、「姫の社」のことなど知らず、ただ彼女の頭の中で(第六感的何かが介入していたとしても)勝手に「花子さんのお墓の噂」を作り上げた。そこを起点としてナオたちが「探検」した結果、姫の社にたどり着いた。ふたつのものがひとつに融合する瞬間。夕闇通りの世界では、噂は噂されるほど力を持つ。とすると、あるいは「姫の社」はこれが目的だったのかとも考えられる。

 先ほど、「姫の社が最初からクルミを目的としていたかは疑問だ」と述べたが、そもそも姫の社、もといカスカは、始めはクルミを試すような言動をしている。隠れんぼをすると途中で消えてしまったり、許してあげる、といった発言をしたり。

 人面ガラスの呪いに掛かったクルミに興味を持ったのは事実だろう。しかし初めからクルミをおびき出したというより、おびき出した相手がたまたまクルミだったという方が正しいような気がする。そこでカスカはクルミに目をつけるのだ。

 カスカがイワセユリを、「花子さんの噂」を利用し、クルミと出会ったのは全くの偶然なのだ。本来の目的は、「花子さんのお墓の噂」と自分の「姫の社」とを融合させ、ひとつの噂として大きくすることだったのではないだろうか?

 

 カスカは、消滅の危機にあった。陽留見のためにも、少しでも長く存在する必要があっただろう。だから、噂として大きくなろうと画策した。現代の子供たちにまことしやかに囁かれる噂。そんな噂のひとつになれば、かつての神としての力とまではいかなくとも、陽留見を護る神秘として多少は生きながらえるかもしれない。そう考えたのではないか。

 そこに現れたクルミという少女に、カスカはまたとない希望を見出すのだが……。

 

 

 「花子さんのお墓の噂」の最後では、バス停のお婆ちゃんはクルミに意味深な言葉を残す。「あなたなら、きっとまた会えますよ」と。

 誰が、何を、どこまで知っているのか?あるいは、感じているのか?それが謎なのが「夕闇通り探検隊」の魅力ではあるが、お婆ちゃんにも、「姫の社」の声は届いていたのだろうか?