小川洋子「ことり」

お題「一気読みした本」

 

 私が本を一気読みするときには、大きく分けてふたつのパターンがある。ひとつは、単純に先が気になる本を読んでいるとき。先が気になるからやめられない。ページをめくる手が止められない。

 もうひとつのパターンは、これが今回紹介する本に当てはまるのだが、本の世界観に没入しすぎて、途中で外界の空気を入れたくないときだ。読むのを中断しようと思えば出来るのだが、「したくない」。出来るだけどっぷりと、物語が終わるまで、この世界観に浸っていたい。そう思わせる本がある。

 

 小川洋子さんの「ことり」を読んだ。この作者で最も有名な作品は「博士の愛した数式」だろうか。私は作曲家の加古隆さんも好きなので、かの作品には愛着があるが、今回は同じ作者と知らずに手に取った「ことり」を紹介したい。

 

当事者になれない孤独感

 「ことり」は、ことりの言葉(作中ではポーポー語と呼ばれている)を話す人間(お兄さん)が主人公、ではない。その弟が主人公となる。弟はポーポー語を理解はできるが、兄のように上手く話すことは出来ない。そういえば「博士の愛した数式」も、素晴らしい数学の才能と特殊な記憶形態を持つ博士ではなく、その周囲の人物が主人公だった。

 私はどうしても、ここに孤独を見出してしまう。主人公はあくまで凡人なのである。特殊な才能を持って浮世離れしているわけではない。しかし特殊な才能を持つ肉親に共感し生涯を分かち合うために、凡人のまま浮世から取り残されてしまう。

 特殊な才能を持つお兄さんは、ある種の神秘性を感じるほどの「美しい存在」として書かれる。我々とは異なる世界の住人なのだ。一方主人公はというと、読んでいるこちらが狼狽してしまうほどに「ただ世間に馴染めないだけの人間」として書かれる。俗世から「あちらの世界」を覗いているだけの、ただの人間だ。この絶望的な差に、親しい人間に置き去りにされてしまったような、何とも言えない孤独を感じてしまうのだ。

  主人公は、決して当事者にはなれない。ことりたちに寄り添うことは出来るが、お兄さんのようにことりの言葉を話すことは出来ない。ゆえに人間の言葉を話し、人間の社会で生きていくほかすべがない。ことりの世界にはどうやっても行けないのだ。しかし、だから人間の社会を上手に飛んでゆけるかと言われるとそうではない。主人公は人間にしてはことりに近すぎるために、人間社会に馴染むこともできない。どこまでも孤独だ。

 

 この物語には、孤独が渦巻いている。そのほとんどが、愛する者との離別からくるものだ。母親、父親、お兄さん、司書の女性、虫箱のおじいさん、鳥小屋……。出会いがあれば別れがあり、別れからくる孤独は出会いによって癒される。しかし初めからそこにあった孤独を癒すには、いったいどうすれば良いのだろうか?

 

 ともすれば主人公は、それを探していたのではないか、と思う。図書館の分室に眠っている数多の本からことりを救いだしながら、彼は自らの内に存在する、どうしようもない孤独を――ことりたちとお兄さんの世界に到達できなかったという、根源的な孤独を、癒そうとしていたのではないか。そう思えてならない。

 その孤独は、別れによってもたらされたものでない以上、出会いによって癒されることは決してない。しかし物語の終盤で書かれるのは、ささやかな「出会い」である。その出会いが主人公にとって出会いのまま終わったのは、幸いというべきなのかもしれない。

 

人生に意味などなく、生命に意義などない

 結局、この主人公の人生っていったいなんだったんだろう。

 読み終わった後でそう考えてしまい、私は虚無感に押しつぶされそうになった。お兄さんの理解者として生きるもお兄さんを理解できないまま喪い、司書の女性に寄せていたささやかな慕情は悪意のないままにあっさりと打ち捨てられ、居心地の良かった職場は時代と経済の波に荒らされ、ことりたちへの純粋な親しみすら「不審者」の一言で片づけられてしまう。

 彼の努力も誠意も報われることはなく、また、彼を蝕むのは明確な悪意などではなく善良な人々の「無関心」と「無神経さ」なのだ。これでは誰かを悪者にすることも出来ない。

 

 人生に意味など無く、生命に異議などないのだろう。「ことり」を読んで、つくづくそう思った。鳥小屋の中で羽ばたきさえずっていたことりたちが、次の朝には落ちて死んでいるように、そこに意味も意義も無い。ただ生きて死んでゆくだけだ。

 この物語が素晴らしいのは、たったそれだけのことを何とも美しく表現しているという点だ。何の意味も意義も持たない存在が――むしろ一般社会においては疎まれ、後ろ指をさされるような存在が、ただ生きて死んでいくだけの過程が、まるで一篇の詩のように美しいのだ。

 

 この物語は語らない。語るというより、ささやかにそっと呟いている。

「人生に意味などなく、生命に異議などない。しかし、それでも人生は、生命は美しい」と。