夕闇通り探検隊はなぜ調査隊でなく探検隊なのか

 夕闇通り探検隊というゲームがある。1999年にSpikeより発売された、知る人ぞ知る名作ゲームだ。
 ストーリーは大まかに言うとこうだ。


 メインの登場人物はナオキ、サンゴ、クルミの中学生三人組。ナオキだけ男の子で、あとの二人は女の子だ。この三人が、ナオキの飼い犬である雑種犬メロスを引き連れて、三人の住む町の不可思議な噂を調べていく。


 プレイすれば(或いは、プレイ動画か何かでも見れば)分かるが、このゲームは元気な中学生が怖い噂に挑む!といった前向きな話ではない。むしろ噂に踊らされたり、噂が元で人間関係や精神が不安定になったり、とにかく陰鬱としていて、私たちが普段の生活で感じがちな妬み、嫉み、劣等感といった負の側面を浮き彫りにする、どこか後ろ暗い気持ちになるゲームだ。(もちろん、それだけでは決してない)


 さて、このゲームのタイトルは「夕闇通り探検隊」だが、私はひとつ不思議に思うことがある。このゲームは、中学生三人組が噂の真偽を確かめようとする、いわば「調査する」ゲームだ。ではなぜ、「夕闇通り調査隊」ではなく「夕闇通り探検隊」なのか。語感が良いとか探検の方がカッコいいとか、メタな意見は置いておいて考えてみようと思う。

 

 

言葉としての探検
 まずは、goo辞書さんの力を借りて、ふたつの単語の意味を調べてみる。
【調査】は、物事の実態・動向などを明確にするために調べること。
 一方【探検】は、危険を冒して未知の地域に入り、実地に調べること。とある。なるぼど、噂を調べるという点のみに焦点を絞れば「調査」だが、噂を調べるために未知の領域に踏み込み危険を冒すという点に目を向ければ「探検」だ。


 では、いったい彼らにとってなにが「未知」であり「危険」なのか?舞台は基本的に、彼らが生まれ育った街、陽見市である。立ち入り禁止の廃墟や、時々発生する異次元イベント以外では、これといって「未知の土地」に踏み込むような描写はない。彼らが通う学校や、街の一角が舞台なのである。また、「危険」に関しても同じように、霊的なイベントで危険にさらされることはあるが即死イベントのようなものはないし、どちらかというと危険より不愉快な気持ちになったり、何とも言えない嫌な気分になったりすることの方が多い。


 では「探検」を指し示す「未知」と「危険」は、何を指しているのだろうか?

 

 

彼らの世界における未知と危険
 夕闇通り探検隊では、人間の悪意も心霊現象と同じ恐るべきものとして扱われる。主人公一行は、噂を調査する過程で様々な悪意や、人間の汚い部分を目の当たりにする。嫉妬や猜疑心、奇異なものを攻撃し追放しようとする嗜虐心や、男性の性欲といったものもそのうちに入る。中学生といえば、そういったものに最も敏感な年頃だ。潔癖すぎるものは理想の世界と現実の世界との差異に苦しみ、捻くれたものは、やっぱり世界なんてこんなものなのねと絶望をあらわにする。主人公一行も例外でなく、世界の汚い側面にそれぞれ様々なリアクションを見せる。そして内面は徐々に影響を受け始め、それに伴って言動にも変化が見え始める。


 これこそが「探検」なのだ。住み慣れた街を走り回るのは、探検ではなく「調査」だ。主人公たちが「探検」するのは、人間社会の淀みの中であり、自分たちの深層心理の中なのだ。


 社会に潜む悪意を軽蔑したはいいが、それと同じものが自分の中にも潜んでいることに気が付く。そしてそれを嫌悪しながらも、そっと自分の心中を覗きこみ、それの正体を探ろうとする。ともすれば、自分自身の汚さに呑まれてしまいかねないその行為、「自己分析」こそ、夕闇通り探検隊における「未知」であり「危険」なのだ。


 夕闇通り探検隊は、人間の精神を「探検する」ゲームなのである。